うつ病患者の生活

うつ病と診断されて9年の42歳。休職や転職を繰り返して2015年はアルバイトとして社会復帰。そんな人はこんな生活をしてるよって日記です。認知行動療法、対人関係療法、週間活動・気分記録表、メンタル・フィジカルチェック、障害年金など取り組んでいることを記録しています。

うつからの社会復帰を目指してアルバイトをしてみて感じたこと

昨年の11月から社会復帰の訓練としてアルバイトを始めました。1月末で契約満了になるまであと少し。そこでこの2ヶ月ちょいの間に感じたことをまとめておこうと思います。

どれくらい働いたか

体力的にもメンタル的にも不安がありましたし、何より職場というものにブランクが2年もあることが一番不安でしたので週2日だけ、それも4時間。初日は緊張して緊張して指先が冷たかった。集中してあっという間の4時間。終わっても終わった気がせず、頭が冴えたままでした。仕事のやりとりは普通にできたけど、休憩時間に雑談したりって余裕はなく、ただただ突っ走った1日でした。

意欲や体力は持続できたか

そこから2ヶ月。慣れてきたこともあるのと、アルバイトで任される仕事の上限も見えてきて、もっとやりたい気持ちと、このくらいでもう少し維持したほうがいいという気持ちと交錯しながらの日々を過ごしています。これならフルタイムもイケるかもという日もあれば、こんなんじゃフルは無理っていう日もあり。とくに午前中は不安定さが残ります。新しいことをやらせてもらえ、世界が広がってワクワクするような日もあれば、単調な作業を延々4時間やって「何やってんだろうオレ」って悶々とする日もある。でも誰かがやらなければならない必要な仕事であることは間違いなく、それをやらせてもらえることもありがたい、明日はワクワクすることに出会うかも知れない、と思い直して翌日も仕事に向かう。そんな感じ。

嫌な気分になるのはどんなときだったか

 11~12月は会社としても仕事がゆっくりと進んでおり、人も穏やかでした。みんな黙々と自分の作業をやっています。年が明けるとプロジェクトの締め切りが迫ってきて慌ただしくなってきました。何か不安要素を思いつくとあちらこちらでミーティングが始まります。自分に直接関係なくても緊張感が伝わってきて自分も根拠のわからない緊張をします。確認をするために営業さんに連絡をとったり、取引先に電話やメールをしますが、なかなかつかまりません。次第に不安が焦りになり、焦りが怒りに変化してきます。やっと連絡がとれてもすぐに解決できないことがあると返事を待つことになります。焦りに拍車がかかります。
「○○のおっさん(営業さんの名前)ではわかるわけないだろうな」、「☓☓(取引先担当者の名前)ではどうせ知らんだろう」。リーダーの口からそんな言葉が出てきます。

うわさ

これまでの経緯はわかりません。過去にどんなことがあったのかは知りません。依頼したことがこちらが期待するスピードで解決することが少ないのかも知れません。イライラしていればそんな言葉がつい浮かんでしまう気持ちも理解できます。それでも聞いていて気持ちのいい言葉ではありません。目が合ってしまったらどう応えていいかわかりません。聞こえないふりをするか、愛想のいい人なら苦笑してごまかすしかありません。
一緒に仕事をしていれば突発的なことも発生するでしょう。思うように進まないこともあるでしょう。その時の対応が人の評価になっているように思います。公の場で人の評価をたくさん口にしている人が苦手です。自分も「自分が居ないときにああいうふうに言われているのではないか」。朝、職場に行くのが憂鬱なのは職場が評価される場だと思っているからです。仕事ができるできないも含め、あらゆることが評価の対象になり、うわさ話のネタになる可能性があるから。
人間は自分を受け入れてもらいたいという願望を持っているものだと思います。良い評価をもらいたいと思い、悪い評価を受けたくないと願っています。自分に悪い評価が定着しないように他人の悪い評価を口に出して自分を維持する場合もあります。生贄を作っておけば自分のことに話が及ばないので一時は安心できます。これはイジメの問題と同じで人間が自分を受け入れてもらいたいと願っている以上避けては通れない道なのかも知れません。

学んだこと

 1週間や1ヶ月という先のことをあまり具体的に想像しないこと。目の前のことに集中すること。今日はどうしても気持ちが奮わない、休もうかと逡巡した日がありました。でも、まず食事を摂ってみて気持ちの変化を観察してみよう。食べたら、着替えてみて気持ちの変化を観察してみよう。着替えたら、駅まで行ってみよう。駅に着いてもまだ気持ちが悪ければ休んだらいいじゃないか。電車に乗ってみよう。...こんなふうに目の前のことを細切れにして一個ずつクリアしていったら結局仕事を終えていました。
人の悪口を言っている場に遭遇したら参加しない。席を外す。自分のやるべき仕事にだけ集中する。言ってる本人がいちばん不安で心細い思いをしているはずなのでそっとしておくが加担もしない。またその言葉を鵜呑みにしない。自分で判断できるまで保留しておく。

YouTube動画『ぼくのなかの黒い犬』をどんなふうに観たらよいか考えてみた

僕のなかの黒い犬

2012年の世界メンタルヘルスデーにあたり世界保健機構(WHO)がYouTubeに投稿した動画で、うつ病患者の見る世界を黒い犬で表現した"I Had a Black Dog"。うつ病を黒い犬に例え、うつ病になると世界がどう見えるか、そしてどうやって向き合っていけばいいのかを、ほのぼのしたイラストのスライドで分かりやすく説明しています。

すでにご覧になった方も多いと思います。私は昨年あたり観ましてなるほどねー、なかなかよくまとまってるかもという感想を持ちつつ忘れていました。YouTubeのお気に入りに登録してあって先日久しぶりに観たので改めてじっくり考えてみることにしました。

啓発ビデオであるけれど当事者としても回復までのヒントが散りばめられている

うつの人ってこんなふうに世界が見えているんだよっていうことを端的に表現したビデオとして評価されているのですが、何度か観ているうちに回復までのターニングポイントもちゃんと描かれていることに気づきました。

うつの気持ちと考え方

感情を素直に受け取れない

うつで苦しむ人は自分の感情を素直に認めることができにくくなっています。嫌だなぁと思っていても、そんなふうに感じるのは望ましくない。そんなふうに感じる自分は間違っていると言いくるめようとしています。

先のことばかり心配してしまう

うつで苦しむ人は先のことを想像して心配してしまいます。悪い結果が起きた場合のことを思い浮かべて気が滅入っています。良い結果が起こる可能性だってあるじゃないかと言っても信じられません。

感情ってなんだっけ

それが習慣になってしまって、感じること自体が難しくなります。抑うつとは憂鬱とかブルーな状態なのではなく、感じることそのものが麻痺したようになり、全てのことが自分とは別世界で起きています。

行動したってムダ

少し調子が良いときに、良いと言われていることを試してみるものの、順調にいかないため行動することよりしないでいることの方を選びます。行動しても気持ち良くないことを覚えてしまって何もしたくありません。ほらやっぱりいいことないじゃん。

ここから始めよう

まず人に助けを求めることです。※どんな人が助けになってくれるのかは改めて書きます。

自分の本心に気づく

何より回復への大切な一歩は、自分の感情を聞くこと。そして一旦認めること。他人の力を借りて自分の本心に気づく練習が必要です。できるかできないか、許されるか許されないかは置いといて、むき出しの本心です。認知行動療法という方法があります。

休む練習

慣れないことをやるのですぐ疲れます。本心を口にするなんてたぶん幼いころ以来なので恥ずかしいし抵抗感があります。疲れたまま続けるとストレスがたまり行動することが嫌になります。嫌だ疲れたと伝えてゆっくり休みましょう。嫌だから、疲れたから休むなんて大人げないと思うでしょうが、始めはそれでいいんです。うまい断り方は後から覚えていきましょう。

うつ病の予防をするにはどうすればいいか

コンパクトな良記事があったのでご紹介しつつ、経験者として補足します。

沖縄県医師会編[命ぐすい耳ぐすい]うつ病100万人時代 -予防するには-

沖縄タイムズ(一銀クリニック・城間功旬)

筆者はうつの予防には「悩み方の知識を持ち実践すれば良い」と言います。具体的には「今頭の中にある事が、考えている事なのか、気を病む事なのか区別」して、その上で「行動して目の前に集中する事」が予防になるのだと。

「考える」は試験を解くように「明快に答えがある事」なのでそれほど疲れません。「気を病む」は過去の後悔・未来の取り越し苦労をしており、それらは答えがないために堂々巡りの果てしないスパイラルに陥り、膨大なエネルギーを消耗し脳が疲れ果てて、うつ病になるのです。

目の前に集中する

行動して目の前に集中することはとても有効な方法だと思います。経験者として補足するならば、結論を焦らないことが重要だと思います。スモールステップで階段を一段ずつ上がっていくこと。一段上だけをみてそれを上がることにのみ集中する(頂上をみない)ということが「目の前に集中する」の意味するところだと思います。もちろん余裕があれば頂上を意識しながら今やっていることが到達のために何の意味があるかを考えながら登っても構わないのですが、それが負担になって気に病んでしまうようなら敢えて頂上はみないということです。

「考える」と「気に病む」は区別できるか

私は少し違う考え方です。明快な答えに薄々気づいていながら知りたくないこともありますし、分かりながら気が重くて行動したくないこともあります。事情を知らない他者から見れば答えは明白であっても、やらないで先延ばしにしていることはたくさんあると思います。そんなとき答えはコレだよと他者から指摘されたりしたら、知りたくないことを知らされて気分はさらに落ち込みます。理路整然と言われたらもう逃げ道が塞がれたも同然です。最悪の結果を想像し、行動することが恐くて思い悩んでしまうことは誰にでもあることです。答えが分かっていればできるとは私は思いません。分かっていればこそできないこともあるのです。そこを気合だけで乗り越えるにはうつ状態にある人にとって困難です。

気合では乗り越えられないとき

行動活性化療法

気合では乗り越えられそうもない状態にあるとき、どうしたらいいのでしょうか?2つの側面からのアプローチがあると思います。ひとつはこの記事にもあるように行動して目の前に集中すること。スモールステップです(行動活性化療法)。うつ状態にある人にとって目の前に集中することは結構難しかったりします。繋げて考えるクセができているため先を見通せてしまい、結果を恐れて行動できなくなっています。「それをやることに何の意味があるのか?」をひとつひとつ理解してからでないと行動しないクセがついています。私が通っている就労支援施設では行動活性化プログラムの他、課外プログラムとして農業(過去記事あり)やジョギングをやりました。ハードではないけれど目先のことしか集中できない状況を擬似的に作ります。目先のことをクリアしていった先に成果が待っていたという形での成功体験を重ねて、結果から逆算して行動する以外のプロセスがあるんだということに気づきました。このプロセスを自分の抱えている課題にも応用して「行動して目の前に集中する」方法を身につけていきます。

認知行動療法

もうひとつは、「先を見通す」や「結果から逆算して」に関係があります。いずれの能力も一般にはいいこととされています。この能力が高い人は優秀だと評価されます。でも想像している結果が良くないイメージのものだったとしたら腰は重く上がりにくいですよね?誰にでもそういう事柄のひとつやふたつあるのではないでしょうか?進学のこと、結婚のこと、出産のこと、会社や親戚、家族との人間関係のこと、仕事のこと。悪い結果になるのを恐れて行動を先延ばしに先延ばしし、それがいくつもの事柄で同時に起こったとしたら何から手をつけていいのやら途方に暮れてしまいます(私は2つ同時に起きたことでうつになりました)。とりあえず一番手っ取り早く悩みから逃れる方法は寝逃げ...。そうしているうちに本当に体が動かなくなり、やっと気合を入れて行動しようとすると熱が出たりめまいがしたり吐き気がして体が拒否してきます。それががうつ状態です。しかしそれは正常な体の防衛反応です。だって行動したら悪い結果になるとわかっていることを進んでやれる人はいませんから。この状態から一歩前に出るためのヒントは「違う結論はありえないのか」を考えてみることです。「先を見通」し「結果から逆算」するとしても想像する結果が悪いものだったら行動はしにくいものです。でも悪い結果しかありえないのかどうか?。事実はひとつだとしてもそれを悪く評価するしかないのか?違った可能性があるのではないかと考えてみる認知行動療法)方法です。具体的な方法は過去記事に譲りますが、少しラクになりそうな考え方を採用できれば重い腰も少しずつ軽くなっていきます。そしてラクになれる感じ方にもとづいて行動してみると、案外イメージした通りの結果が返ってきて自信がついてくるのです。成功体験を重ねるうち、ラクな考え方で事に望むことが自然になってきます。

ゆううつ部!レビュー

ゆううつ部!

うつに関する書籍を読み終えたのでご紹介します。

どんな本?

今なおうつ病の著者が、フラフラの体を引きずって会いにいった9人の記録!

職業・年齢さまざまな9人のうつ病(+精神疾患)経験者へのインタビュー集です。300ページ弱の分量ですが会話形式なので早ければ1時間程度あれば読みきれてしまいます。9人も紹介されているのでうつ病と一口にいっても多様なきっかけ、トリガー、症状、回復への道のり、なんとかなりそうだという手応えの得方があることを知ることができます。

だれに向けて書かれたの?

あとがきで著者が述べています。

カミングアウトした人の本は多いけど、腕があるフリーランスや、有名人がほとんどじゃないかな。普通の人たちはどうやって世の中に戻っているのかな。会社員はもとの環境に戻るのかな、転職したりしているのかな

どこにでもいるうつ病な普通の人(とその周りにいる人)に向けた本です。

読んでみての感想

実はこの本を手にしたのは最近ではありません。1年以上前です。手に入れたときもひと通り目を通したものの、体調の変動が大きかったこともあり、あまり印象に残りませんでした。恵まれた人たちの物語だなぁ、自分には関係なさそうだ、自分はもっと困難な状態だ、自分はダメな人間だ。そんな風に感じていました。とてもじゃないけどここに登場した人たちのように頑張り屋さんじゃない。数ヶ月~1、2年で活動に戻っていける自信が持てませんでした。

約1年経って、積ん読のなかからポロッと出てきてまた読みなおしてみました。前回読んだときよりも気付きがたくさん得られました。それは私自身が就労支援施設に通ってポイントがわかったからなのかもしれません。きっかけ、症状、少し楽になってきてから何をしていたのか、概ねこの順番でインタビューされています。

きっかけにあたる部分をいくつかピックアップしてみると、

  • 異動があって右も左もわからない中、全て自分で決めなければいけなかった。相談できる相手も乏しかった(コミュニケーション量が少なかった)
  • 会話がほとんどない職場。黙々とパソコンに向かう仕事。指示はほぼメール。
  • 受験を前にしてのプレッシャー。失敗したらダメだという追い込み。
  • 就職活動をしてみて他人のいうことに影響を受け過ぎて何が正しいのかわからなくなってしまった。
  • 上司がかわり建設的なコミュニケーションが通じなくなった。
  • 認知症で介護している姑と口論になって。
  • ...

同様に症状、

  • カップラーメンの作り方がわからなくなった。常に38度の高熱にかかってる感じ。文字が読めない。
  • 全身にだるさがあって集中力が続かない。涙が出てくる。夜眠れない。目覚めがよくない。途中で何度も目が覚める。
  • 毎晩自室にいると涙が出てくる。過呼吸になる。
  • 簡単なリストをワードで入力することができない。
  • 頭痛がひどい。会話のペースが遅い。質問してから回答がくるまでにすごく時間がかかる。
  • 涙がとまらない。だるくて起きていられない。テレビが観られない。本一冊が選べない。服一枚が選べない。
  • ...

こんなふうにうつになる直前、最中、浮上に分けて読めたらもっと理解が早まったかなと思います。実際いまうつで苦しんでいる方はこうやって自分で整理しながら読むのは大変だと思います。私も1年前はそうだったように。ですので、ぜひ家族とか周りの人が整理してあげるといいのかなと思います。

ところで、この辺りまではたぶんいろんな書籍や雑誌、ブログで触れられているし、ある程度知識として広まってきていて共有できる部分かなと思います。たぶんこの本が気になった人はどのようにして浮上していくのかだと思います。私もいま回復期にあって何度か読み返しているんですが、こうするといいよというのが言えません。言えないというのは分からないという意味ではなくて環境によって利用できるものとそうでないものがかなり違うということです。この本に登場する人たちには力技で乗り切った人もいますし、偶然に環境が変わって改善した人もいます。会社の制度に助けられた人もいます。自宅から通える範囲にリワーク施設がある方はそれを利用することができますが、それが困難な人もたくさんいるでしょう。いろんな環境が整ってくることを願っています。ただひとつ自分の経験も踏まえて(この本の中でもたびたび出てくるワードですが)これをしておくといいよと言えるのは、自分から発信していく(カミングアウトも含めて)、コミュニケーションを取っていくということが大切かなということです。絶対に誰かの理解がなくてはならないからです。スーパーマンのような人が現れたらいいんですが、そんな人はそうそういません。自分もできることだけをやる。理解してくれる人も与えられることの範囲で手伝う。そういうことの積み重ねで回復していくのだと思います。

ゆううつ部!  (一般書)

ゆううつ部! (一般書)

 

うつ病経験者が就職活動するとぶつかること

9月下旬から書類応募を始めました。今日の時点で8社応募して面接に呼ばれたのが3社、採用内定をもらったのが1社です(すべてアルバイトですが)。内定をいただいたところは辞退して、引き続き就職活動をしています。今回はうつ病経験者が就職活動をしてみて感じたことを書いてみたいと思います。

うつのことを伝えるべきか

私は病気のことをオープンにして就職活動に望んでいます。理由はブランクが長いから。数ヶ月から半年ぐらいのブランクなら誤魔化しも効きますが私は2年も空いています。そして言い繕うには2年は長すぎると判断したからです。クローズ(うつのことを伝えない)という選択肢はとれなくはないですが、年齢もあります。今年で40歳になります。クローズで目指したとしても難易度はたいして変わらないと思います。それなら病気のことをちゃんと伝えた上で理解してくれる人のもとで働きたい、そう考えています。

雇用者はうつ病のなにを恐れているのか

今のところ面接の際、うつの話をすると意外に嫌な反応はありません。うつに慣れているというか知識が広まっているのか「ウチにも以前いたよ」とか「知り合いにもいる」とか「親戚にいる」とか、うつが身近なものになっているのだなと感じます。一方で話が深まっていくと核心部分にせまってきます。「ある日パッタリ来なくなる」、「連絡が取れなくなる」。それが一番困るのだと。「大丈夫だと思う」と簡潔に答えるわけですがその言葉をどれくらい信頼していいものかがわからない(自分自身も品質保証はできないです)。就労可という医師の診断書を持っていったとしても、その会社で仕事を始めたら再発するかもしれないわけです。再発率は60%と言われています。再発したらその次の再発率は70%。その次は80%とどんどん高くなるというデータがあります。そうですよね。いつ来なくなってしまうかもしれないと思いながら仕事を任せるのは恐いと思います。本人はできるところまでやるつもりでいるのですけれど。うつの人をどのように扱ったらいいのか、雇用主は頭を悩ませています。手を打っているところもありますが、大半は扱い方の正解がわかるまで今のまま保留しておこうというのが現状ではないでしょうか。

本当に“パッタリ”来なくなるのか

雇用する側や仕事を一緒にする人にとって一番困るのは、ある日突然パッタリ来なくなること。いろんな意味で恐いですよね。常識では考えられません。出社しなければ扱いが不利になるだろうし、連絡がとれなければ益々出社しにくくなると想像できます。そんな不利益なことをなぜあの人はするのだろう。分からなくて不安ですよね。さらに彼(彼女)が任されていた仕事が自分に回ってきて負担が大きくなるかもしれません。今でも結構いっぱいいっぱいなのに...。残業しないといけなくなるかなぁ。

でも、もし彼(彼女)のことを知っている人なら気づいたかも知れません。最近表情が硬いとか、動作がゆっくりだとか、めちゃくちゃな集中力を発揮しているとか、夜遅くまでゲームやっているらしいとか。気づくというよりもっと曖昧な違和感といったほうが良いかもしれません。本人が自覚していればいいのですが、自身は調子いいと思っている場合もあります。それに本人は当然、周りも気づければそれは“パッタリ”ではなくなるのです。彼(彼女)のために、ではなく自分のために彼(彼女)の様子に関心を持つ。そんな習慣がつけば働きやすい職場になるのかも知れません。

自分の取り扱い説明書

私は就職活動をするにあたって自分の取り扱い説明書を作成しました。

注意サイン

手助けが必要なこと

助けを求めてばかりではお荷物になってしまいます。ですから自分はどういう性質を持っているのかを把握しておくことが相手の安心のために必要です。パッタリ来なくなるように見えるけど、実はそうではないんだよということを説明したのが一枚目。観察していてここに書いてある素振りが感じられたら「ぶっちゃけどうよ?」と聞いて欲しいと伝えておきます。そして実際に調子が悪いと訴えたらこうして欲しいということを予め伝えておきます(2枚目)。行動レベルでこうなる、こうして欲しいと基準を明快にしてあげることは、わからない人を安心させられる効果があると思います。理解してくれる経営者さんもいますし、それでもリスクは抱えたくないという方がいるのも現実でしょう。選考に落ちたからといって全て理由がうつだからとは限りません。その辺は通常の選考と同じと考えて、あとは縁があるところと出会うの待ちです。

健常者と障がい者を分けるもの

私は心ならずもうつ病になってしまって、心療内科に通院したり支援施設に通所したり、精神保健福祉手帳を取得することを決断すると、それだけでも辛いのにさらに突きつけられて心を痛めたことがあります。利用にあたって医師の診断書を書いてもらったり役所に入って必要書類をもらったり。その度に「自分は障がい者になるんだ」、「これからは健常者とは違う扱いを受けるんだ」という思いが襲ってきました。受け入れることは屈辱でした。その思いをどのようにして乗り越えたのかという話をします。

障がい者”という言葉の持つ響き

障がい者という言葉を目にして刺激されるイメージとはどんなものがありますか?

  • 支援がないと生きていけない人
  • 劣った人
  • 施しを必要とする人
  • 生かしてもらっている人
  • 哀れな人
  • 不完全な人
  • 足手まといな人
  • ...

そんなイメージばっかりじゃないよと思う人がいるかもしれない。でも私がうつ病と診断された時に思っていたのはそんなイメージでした。少なくとも前向きなイメージは持っていなかったと思います。

“通院歴がある”という言葉の響き

前代未聞の犯罪が起きたとき「容疑者には精神科への通院歴があった」から弁護側は「精神鑑定を請求した」という報道がなされるたび、嫌な気持ちがします。心の病があるからって決めつけるなよと反発する気持ちもあります。でも私も何かトラブルが起きた時、そういう目で見られるのではないかという恐怖もあります。だから心の病があることを隠しておきたい...。世間というものに対する不信の気持ち。でも、そもそも私自身が心の病に対して上記のようなイメージを持っているのだから隠しておきたいのです。

健常とは

今でも上記のような障がい者に対するイメージは持っています。持っていますが、それが全てだとは思っていません。一部は事実と認めています。支援はないよりあった方が助かるし、生かされてるとも思う。不完全だと思う。でも哀れなのか?足手まといなのか?そこが以前とは違っています。そこで、障がい者の反対語である健常者を考えてみます。反対なのですから、

  • 支援がなくとも生きていける人(自立した人)
  • 優れた人
  • 施しを必要としない人(与える側の人)
  • ...

かな?違和感があります。私は違和感を持ちます。間違ってるとは思わないけど核心を突いてるともいいきれない。健常者になりたいか?憧れるか?そう思われたいか?自立した人ではありたい。優れていると賞賛されたい。与えられるばかりでなく与える側にもなりたい。でも待て。障がいがあるままでも部分的にそうなることは可能だし、障がいがない人でも誰でも全部それができているわけではない。考えれば考えるほどボーダーがわかりません。

知っていれば怖くない

昔、火山が噴火したとき、大津波が起きたとき、台風が襲ったとき、地震が起きたとき、人々は神や悪霊がそれを起こしたと信じ恐れました。今は科学が進歩してどうしてそれらが起こるのか仕組みが分かって恐れなくなりました。いつ、どれぐらいの大きさの被害がでるかは予測できないものの、昔より大胆な行動をとっているはずです。

では“障がい”はどうでしょうか?身体障がいや知的障がいに比べて精神障がいは目に見えにくいものです。見えないものは理解が進みません。理解しにくいものは怖いです。お化けや霊は目に見えないから怖いのです。技術が進んでカラクリがわかれば怖くなくなるのです。

障がい者と健常者のボーダーはどこか?をテーマに考えましたが、どうやらボーダーを問うことはあまり意味がないように思います。先ほど通院歴のある容疑者の例を出しましたが、通院歴がある=怪しいという構図には「精神の病=わからない=怖い」、「怖いものは目の前からとりあえず排除しておきたい」、「誰か専門家に任せちゃって自分は関わりたくない」という当たり前の人間の気持ちがあると思います。私もわからないものは怖いです。だとすれば、わからないから怖いのであれば、知らせればいい。知ってもらうためには話せばいい。全てを分かってもらうことはできないだろうけど、最低限こういうことはどうやら確かなようだというカラクリを共有できれば、以前より恐怖はなくなると思うのです。だから私は心の病をもっていることをオープンにしてカラクリを明らかにしようと思っています。

新型うつは詐病なのかどうか

新型うつ、もしくは非定型うつと呼ばれるうつの症状が労務管理の場でときどき話題にのぼります。行動からみて詐病なのではないかという文脈で語られることが多いようです。これについて考えてみたいと思います。

新型うつの特徴といわれる根拠

新型と呼ばれるぐらいですので「今までは見たことがなかった」ということが根拠です。

  • 仕事の時だけうつになるが退勤後は元気
  • 休職中に趣味の活動は活発
  • 就業規則や法律など制度をよく調べていて上手に利用する傾向がある
  • 他責的で会社や上司など周囲のせいにする

では従来型の「今まで見てきた」うつはどんなものででしょう。

  • 仕事の時だけでなく休みの日でも、ほぼ常に気分が落ち込んでいて行動できない
  • 休職中でも調子が上がらない
  • 思っていることや意見を言い出せない
  • 自責的で自分が悪いと思い込む

確かに真逆ですよね。真逆に見えるのに提出された診断書にはうつ病と書いてある。混乱するのも当然かもしれません。新型うつというのは学術的にもまだ正式なものと認められていないようですので、いよいよ疑わしい。医師に取り入って診断書を書かせているのでは、と穿った見方をしてしまうのも無理はありません。

うつが始まって終わるまで

私は通算7年間うつと付き合っていますが、振り返ってみると実は両方の場合があったなと思います。うつには始まりから収束までに波があると言われています。

うつの経過

気分が優れない日が時々あって、身体的な不調が起こって、という変化が出始めます。でもどうにか仕事はできるし、日常生活も億劫ではあるけどまあ年齢的な衰えの範疇かなと思っている段階(うつ状態:誰にでも思い当たるフシがありますよね?)。それでも生活リズムを変えないように頑張っているとある日突然(と本人には感じられる)体がいうことをきかなくなってドクターストップがかかる(うつ病)。療養しリハビリしてい調子が上がって元のリズムにも戻ったかに思えたら、また落ちてを繰り返しながら(うつ状態:こちらはうつ病を経験していない方にはイマイチ理解できないかもしれない)、復活。大きく3つの段階を経ると言われています。私は今最後の段階。 そのなかで、始めと終わりにあるうつ状態という段階を振り返ったとき、新型うつと言われるものと非常に似た行動をとった経験があります。でもうつ病という状態のときは確かに寝たきりなのでした。

加えて、どの時点を切り取ってみたかによって見え方が違います。医師は診察時間のあいだでしか患者と接点がないのに対し(点)、職場や家族はもっと長時間接しているという(線)違いがあります。医師は患者からの訴えにフォーカスしますが、職場や家族は患者の行動にフォーカスします。ここに認識のズレが生じるのだと思います。どちらかが正しいというのではなくどちらも正しいのだと思います。うつ状態のある時点をみれば確かに元気なときもあります。一方うつ病にあって外出もままならない時点では他人と接することが物理的にもないので本人の証言以外、知る術がありません。

新型か旧型かを分けるのは何のためか

ひとりの一連のうつのなかで新型的な行動をとることもあるし、旧型的な行動をとることもあるのです。カテゴライズするのは対応や配慮を効果的にするという点で意義がありますが、病気なのかそうでないのかを判断するだけなら新型的か旧型的かなのでなく、以前はできていたのに数ヶ月の間にできなくなってしまったのかどうかで充分ではないかと思うのです。