うつ病患者の生活

うつ病と診断されて9年の42歳。休職や転職を繰り返して2015年はアルバイトとして社会復帰。そんな人はこんな生活をしてるよって日記です。認知行動療法、対人関係療法、週間活動・気分記録表、メンタル・フィジカルチェック、障害年金など取り組んでいることを記録しています。

健常者と障がい者を分けるもの

私は心ならずもうつ病になってしまって、心療内科に通院したり支援施設に通所したり、精神保健福祉手帳を取得することを決断すると、それだけでも辛いのにさらに突きつけられて心を痛めたことがあります。利用にあたって医師の診断書を書いてもらったり役所に入って必要書類をもらったり。その度に「自分は障がい者になるんだ」、「これからは健常者とは違う扱いを受けるんだ」という思いが襲ってきました。受け入れることは屈辱でした。その思いをどのようにして乗り越えたのかという話をします。

障がい者”という言葉の持つ響き

障がい者という言葉を目にして刺激されるイメージとはどんなものがありますか?

  • 支援がないと生きていけない人
  • 劣った人
  • 施しを必要とする人
  • 生かしてもらっている人
  • 哀れな人
  • 不完全な人
  • 足手まといな人
  • ...

そんなイメージばっかりじゃないよと思う人がいるかもしれない。でも私がうつ病と診断された時に思っていたのはそんなイメージでした。少なくとも前向きなイメージは持っていなかったと思います。

“通院歴がある”という言葉の響き

前代未聞の犯罪が起きたとき「容疑者には精神科への通院歴があった」から弁護側は「精神鑑定を請求した」という報道がなされるたび、嫌な気持ちがします。心の病があるからって決めつけるなよと反発する気持ちもあります。でも私も何かトラブルが起きた時、そういう目で見られるのではないかという恐怖もあります。だから心の病があることを隠しておきたい...。世間というものに対する不信の気持ち。でも、そもそも私自身が心の病に対して上記のようなイメージを持っているのだから隠しておきたいのです。

健常とは

今でも上記のような障がい者に対するイメージは持っています。持っていますが、それが全てだとは思っていません。一部は事実と認めています。支援はないよりあった方が助かるし、生かされてるとも思う。不完全だと思う。でも哀れなのか?足手まといなのか?そこが以前とは違っています。そこで、障がい者の反対語である健常者を考えてみます。反対なのですから、

  • 支援がなくとも生きていける人(自立した人)
  • 優れた人
  • 施しを必要としない人(与える側の人)
  • ...

かな?違和感があります。私は違和感を持ちます。間違ってるとは思わないけど核心を突いてるともいいきれない。健常者になりたいか?憧れるか?そう思われたいか?自立した人ではありたい。優れていると賞賛されたい。与えられるばかりでなく与える側にもなりたい。でも待て。障がいがあるままでも部分的にそうなることは可能だし、障がいがない人でも誰でも全部それができているわけではない。考えれば考えるほどボーダーがわかりません。

知っていれば怖くない

昔、火山が噴火したとき、大津波が起きたとき、台風が襲ったとき、地震が起きたとき、人々は神や悪霊がそれを起こしたと信じ恐れました。今は科学が進歩してどうしてそれらが起こるのか仕組みが分かって恐れなくなりました。いつ、どれぐらいの大きさの被害がでるかは予測できないものの、昔より大胆な行動をとっているはずです。

では“障がい”はどうでしょうか?身体障がいや知的障がいに比べて精神障がいは目に見えにくいものです。見えないものは理解が進みません。理解しにくいものは怖いです。お化けや霊は目に見えないから怖いのです。技術が進んでカラクリがわかれば怖くなくなるのです。

障がい者と健常者のボーダーはどこか?をテーマに考えましたが、どうやらボーダーを問うことはあまり意味がないように思います。先ほど通院歴のある容疑者の例を出しましたが、通院歴がある=怪しいという構図には「精神の病=わからない=怖い」、「怖いものは目の前からとりあえず排除しておきたい」、「誰か専門家に任せちゃって自分は関わりたくない」という当たり前の人間の気持ちがあると思います。私もわからないものは怖いです。だとすれば、わからないから怖いのであれば、知らせればいい。知ってもらうためには話せばいい。全てを分かってもらうことはできないだろうけど、最低限こういうことはどうやら確かなようだというカラクリを共有できれば、以前より恐怖はなくなると思うのです。だから私は心の病をもっていることをオープンにしてカラクリを明らかにしようと思っています。