うつ病患者の生活

うつ病と診断されて9年の42歳。休職や転職を繰り返して2015年はアルバイトとして社会復帰。そんな人はこんな生活をしてるよって日記です。認知行動療法、対人関係療法、週間活動・気分記録表、メンタル・フィジカルチェック、障害年金など取り組んでいることを記録しています。

大きく調子を崩す場面を知っておく

楽にいられるのはこんなとき

元来自分はこうありたいというのがない。人生を掛けて成し遂げたいことも別にない。自己実現したいなんてかっこいい欲も特にない。自分が興味のあることに時間が使え、周りもそうであればいいと思っている。意気投合すれば一緒にやればいいし、そうでなければ緩く繋がっていれば満足だ。そういう状態がいちばん自分らしい。

調子がくるうとき

自分の器用さがけっこう嫌いだ。頑張ればそこそこ身についてしまう。楽しんで手ごたえを感じながら自分のペースでやっているのが好きだ。そしてだんだん成果が出てくると、いつのまにか誰かが期待するようになる。 期待されることは自尊心がくすぐられ心地よい。しかし自分のペースより早く結果を出すよう期待されると歯車が狂いだす。 いったん仲良くなると期待に応えなければ見捨てられるような気がしてきて、オーバーペースになり、好きでやってたことが好きでなくなってしまう。 自分が好きだからやっているのか、期待に応えたくてやっているのかわからなくなって、(多分その両方だが)孤立が恐いから、期待に応えることを選ぶ。

なんで苦手意識があるの?

家庭環境もあって、「あなたの好きなことをやりなさい」と言われたことがなかった。父は苦学して好きなことを選んだ結果、苦労したので私に同じ苦労をさせたくなかったのだろう。父なりの子どもへの愛情だったのだと思う。でも当時はそんな父を疎ましく思っていた。

文字が上手に書けるようにと書道教室に入った。風邪ばかりひいていたので身体が丈夫になるようにと水泳教室に通った。上達が早く次第に期待されるようになった。いい成績を残すと親が喜ぶから一生懸命やっていた。でもそんなに好きではなかった。好きでないことに気付き辞めたいと何度か申し出たが、もったいないからと辞めさせてはくれず辛かった。「辛抱して努力すれば必ず報われる」と。でも好きでないものを努力するのは私には苦痛だった。稽古の時間が近づくとお腹が痛くなる。どんどん苦痛になって親の目を盗んでずる休みしたりもした。 高校受験を前に勉強が好きになった。文章が好きだったから文学部に行きたいと思った。でも就職に不利だからと許されなかった。勘当するとまで言われ諦めた。子どもが自分と同じような道に進みそうだと感じ、必死に止めたかったのかもしれない。
父が死んだ今でも好きなことを純粋に楽しめない。誰かに「好きなことが見つかって良かったね」と認めてもらいたい一方で、期待されてしまうのが恐くてどこかでこっそりと隠れてやりたい気持ちがする。とても矛盾しているのだけど、こんな葛藤が自分を苦しめているのだと思う。