うつ病患者の生活

うつ病と診断されて9年の42歳。休職や転職を繰り返して2015年はアルバイトとして社会復帰。そんな人はこんな生活をしてるよって日記です。認知行動療法、対人関係療法、週間活動・気分記録表、メンタル・フィジカルチェック、障害年金など取り組んでいることを記録しています。

寄り添いってなんなの?

1月いっぱいで3ヶ月間のアルバイトを終え、2月から通所生活にもどりました。すっかりご無沙汰なのでスタッフさんに挨拶と簡単な期間中の報告と振り返りの面談をしました。そのやりとりのあと、気分が落ちてしまったので記録として残しておきます。

やりとりの内容

支援員「3ヶ月間お疲れ様でした。自信がついただろうし、新たな気付きもあったでしょう。それを踏まえて今後のことをどうするか考えましょうか?」

私「はぁ、そうですね」(若干戸惑い気味)

支援員「今後のイメージはどんなですか?」

私「今回のアルバイトは午後からの勤務だったので、次は午前からの勤務にチャレンジしてその日数を増やして行きたいです」

支援員「そうですか。」(何か考えている様子)

私「勤務日数は週20時間働けたので、フルで入れそうな手応えを掴んでます」

支援員「そうなんですね。どんな仕事に就きたいですか?」

(略)

支援員「じゃあいつ卒業してもいいように修了発表やっちゃいましょう。あと来週から就職支援プログラムに参加しましょうか。職務経歴書の添削とか模擬面接とかやりましょう」

どこでスイッチが入っちゃったのか

まだ自分でも答えが出せていませんが、考えたことを途中まで記録しておきます。(気付いたことがあれば追記していきます)。
まず、通所する道中で「先週まで勤務していたのが夢幻だったみたいだ。今日またこうして通所しようとしている。気乗りしないなぁ」と思ってた。挨拶が終わってしばらくしたら支援員さんがやってきてで「今後のこと話しましょうか」と言われる。笑顔ではなかった。しばらくしたら別の支援員さんがやってきてまた「今後のこともあるからまた面談しましょうね」と言われる。この時点で心の雲行きが怪しかった。何か複雑な気持ち。なぜ複雑な気持ちがしたのかよく分からないけれど多分スイッチはここ。面談を終えて・・・帰りの電車から気分が悪化して翌日から半年ぶりぐらいに一日ダウン。  その一週間はまるっと寝逃げ状態でした。第二週の今日、寝たきりからは脱っしつつあるものの、まだ外出したり通所するのは億劫です。すぐ疲れるし、外に出るのが恐い。

振り返ってみて

私は間違いなく3ヶ月間アルバイトに行きました。欠勤せず、遅刻もせず。仕事中もボンヤリして手につかなくなるようなこともなく、心地良い緊張感をもって仕事ができた。かつて働いていた頃の充実感が蘇ってきてとても嬉しかった。仕事という生活から離れて約3年。育児や家事に従事していたわけでもなく、メンタルの病気により仕事から離れていたことを考えると、たいへん大きな一歩を踏み出し、そして結果を出した。清水の舞台から飛び降りる決意で、とは言い過ぎですが、もし失敗したらもうしばらくは立ち直れないだろうという想像を振り払って飛び込んだ私にとってはたいへん大きな成功体験。ここまでは事実
ところが今、成功体験が霞み飛び散るほどの圧倒的な現実に打ちのめされている。これ受け止め方

3ヶ月間アルバイトに行けた成功体験<通所してる現実

すごい成果を出したという事実にたいして自分で褒めてあげようとしても、全然受け入れられない。勤務最終日は達成感でいっぱいでいた。楽しかったから、できるだけ早く次の仕事を見つけてまた働きたいと思っていた。でも今はそんな自信があったのがなぜなのか全く分からない。夢だったんじゃないかというくらい現実感を感じられない。自分に起こった出来事のような気がしない。このことを主治医や家族にも話したけど「頑張ったぶん、疲れが出たんじゃない?ホッとして気持ちが緩んだんだよ」という反応。それを否定するつもりはない。それもあるだろう。でも実感として達成感を(今は)感じられていない。あのときは感じていたはずなのに。ホッとしているどころか焦りと絶望感の方が大きい。「小さな成功体験を重ねて自信を取り戻していきましょう」というのがうつ病治療の王道だ。事実これまでそうやって少しずつ自信を取り戻し、一時寝たきりだった自分がアルバイトをやり切るところまで回復した。すごく達成感と自信をもてるはずじゃないか?このギャップに胸がはち切れそうなくらい苦しんでいる。

今日の時点での結論

たぶん、周りにももっと評価して欲しかったんだと思う。でも自分が期待したほど評価されなかった(されたいと思うほど反応がなかった)。自分では相当覚悟して大きな一歩を踏み出し、やり遂げた。とても大きな成功。周りにも自分にとって大きなチャレンジをすると公言していた。周りもそのチャレンジをヒヤヒヤしながら見守ってくれた。一方いざやり遂げてみたら、うつ病の人がアルバイトをやり遂げるまでに回復したという基準ではなく、世間一般の基準で評価された(それぐらいできて当たり前、次に行こう)ので反応が薄かった。そのギャップに困惑している。いくら「自分で自分を褒めてあげましょう」と言われても、一度どん底まで自信を失った人にとって「他人から評価してもらうこと」ほど自信になることはない。達成して気が抜けているのは自分じゃなくて周りなんじゃないかと。ホッとした結果、うつ病の人としてではなく、一般の人として見た。だから自分が期待するような評価がされなかったというギャップが生じて、「この程度のことは出来て当たり前なの?評価に値しない?」って不安になってしまっている。

過去にこんなことがあったのを思い出した。以前、まだ勤めているとき。復職してリハビリ出勤していたころ。少しずつできることが増えて、勤務時間も延ばしていたときに体調を崩して遅刻がちになった。月に一度行っていた上司との面談で、「毎日定時に出社できるということが社会人としての基本。」と言われた。もちろんそんなことは分かっているから何も言えなかった。ただ面談の最後に「何か伝えたいことがあれば言ってみて」と向けられたので、とても複雑な思いがしたものの恥を覚悟して言ってみた。「できていないことは改めるよう努力する。でもできたことはできたこととして口に出して評価して欲しい」と。できてないことばかり指摘されるとどんどん自信を失うので、病気の特性だから協力して欲しいと。でも返ってきた言葉は私にとって絶望的だった。「新人ならともかく社会人10年近くやってる人に基本的なことができたからってイチイチ口に出して褒められないよ」。それを境にどんどん休みがちになり、結局辞めてしまった。

おそらくそのことと同じことが今回起きている。「寄り添い」って言葉が最近流行っている。弱っている人の悩みを聞き、否定しない、共感する。そういう姿勢や話を聞く技術。だいたいそんなことと理解している。でもそこまでだと充分でないと感じる。弱っている人が助けを借りながら課題を克服しつつあるとき、つい支援者や周りもうれしくなってその人が「弱っている人」だということを忘れてしまうときがある。いつまで弱っている人として寄り添ったらいいのか。いや、そもそも寄り添いとは弱っている人専用の接し方なのかな?寄り添い始めがあって、寄り添い終わりがあるようなものなのかな?今は自分が回復することが最優先なのでこれ以上考えることはしないけれど、そんな視点で「寄り添い」が語られることがあってもいいかなと思う。