うつ病患者の生活

うつ病と診断されて9年の42歳。休職や転職を繰り返して2015年はアルバイトとして社会復帰。そんな人はこんな生活をしてるよって日記です。認知行動療法、対人関係療法、週間活動・気分記録表、メンタル・フィジカルチェック、障害年金など取り組んでいることを記録しています。

マインドマップを使って認知行動療法をやってみよう

過去記事で認知行動療法について触れています。その中でツールとして思考内容記録表をご紹介しました(そのときの記事はコチラ)。これはこれでとても使えるのですが、毎日湧き上がる不安や不快な気持ちについて、その都度書くというのは、それ自体がしんどいものです。そこで最近私はマインドマップというツールを使い始めました。

マインドマップとは

マインドマップとは、頭の中で起こっていることを目に見えるようにした思考ツールのこと(ウィキペディアより)。

引き続き引用すると...

表現したい概念の中心となるキーワードやイメージを中央に置き、そこから放射状にキーワードやイメージを広げ、つなげていく。思考を整理し、発想を豊かにし、記憶力を高めるために、想像 (imagination) と連想 (association) を用いて思考を展開する。この方法によって複雑な概念もコンパクトに表現でき、非常に早く理解できるとされ、注目され始めている。

もともと仕事のプロジェクトを複数人で進めるときや、アイディアをブレーンストーミングするときに使われているよううで、文章の解説を読むだけだとなんだかとても難しそうですが実際にやってみたのがこれです。

マインドマップ認知行動療法をやってみた

マインドマップ

真ん中に今の気分。そこからその気分を構成している不安要素。そこから不安に思う理由(考え方)や反証という具合に枝分かれさせています。思考内容記録表ではなくマインドマップを使ってみて気に入った点があります。

認知行動療法マインドマップを使うメリット

気に入った点は3つあります。

  1. 気分を構成する不安要素は1つとは限らない。
  2. 不安要素を見える化できる。
  3. 手軽である。

気分構成する不安要素は1つとは限らない

気分が塞いで体が動かないときって、不安がひとつしか思いつかないってことはほとんどないですよね?たいていいくつもの出来事や思い過ごしが積み重なって糸がぐちゃぐちゃに絡まっている感じ。思考内容記録表では基本的に1つの不安要素を深堀りします。一方マインドマップは不安要素を俯瞰して見ます。ああ、これが不安だったのねと全体像がわかっただけで一安心できることもあります。

不安要素を見える化できる

1と重複しますが、不安がいくつもいくつもあるのはわかるけど(森は見えるけど)、詳細を気にし始めると気が滅入ってしまうから近づけない(木は見えない)、という状況ってあると思います。マインドマップは書いていくにしたがって全体像が見えてきて、かつ詳細も見えてきます。気が滅入ってきたら一旦考えるのを止めて取り組みやすい別の枝について考えることができます。

手軽である

真っ白な紙とペンがあればできます。特にテンプレートも必要としません。ネット上にもツールがいくつかありますし(コチラで紹介されていますので気に入ったものをどうぞ)、スマホアプリもあります。私もデスクトップとスマホで同期できるものを利用しています。思いつくのは考えてるときだけとは限りませんからね。

 

思考内容記録表もマインドマップも「別の考え方」をいくつ見つけられるかが大切です。また心を楽にすることが目的です。自分に合った方法が見つかるといいですね。

うつ病と農業

8月から週に1日、農家におじゃまして農業のお手伝いをしています。雑草を抜いたり収穫したり種を植えたり。酷暑の中での作業なので毎回汗びっしょりになるのですが、終わると心身ともにスッキリします。私が通っている就労支援施設でお誘いがあって、毎日通って話し合いをしたり作業をしていても気付きが減ってきて何か退屈になってきたなぁと思っていた矢先のお誘いでした。今しかそういう体験はできないし、農業ってどんな仕事なんだろう、農家の人ってどんなこと考えてるんだろう、それがわかれば自分に合っていてもいなくても途中でやめちゃえばいいやって軽い気持ちで参加しました。

2ヶ月経ちますが、楽しく参加しています。どころか、今は農業のアルバイトを探しています。農業から気づいたことや魅力を書いてみたいと思います。

うつ病に農業がいい?

うつ病の予防に農業がいいと言われています。実際リワーク施設でもプログラムとして実施されているところもあります。農業をすることによって...

  • 日光を浴びることで心のバランスを整えるセロトニンが分泌される
  • 身体を動かすことで、体力の低下を防ぐことができる
  • 農業という共通の体験を通したコミュニケーションが取れる
  • 収穫という達成感が自己肯定感につながる

といったメリットがあると言われています。セロトニンがどうだとか書くとなんだか仰々しいですがあくまでやってみた結果こんなこと感じたよってことなので理屈っぽく考えても仕方がないと思います。収穫にいたらず途中で枯れてしまったり、病気になってしまったり、天候不順で育ちが悪かったり、虫に食べられてしまったり、予測できないことが色々起こります。それもまた楽しいんです(生業にしている人にとっては大変ですが)。思うように育ってなければ、どうしてだろう?って調べたり詳しい人に聞いたり、農家の人の知恵が新鮮で勉強になったり。やっぱりやるからには収穫したいですし、いいものを育てたいと思うのは自然です。また、思った通りに育たないって現実をみて、人間の小ささ、自然には勝てないという謙虚さみたいなものも感じました。

いちばんの収穫

1周間にたった1日しかも数時間ですが畑に通うだけですが、いちばん良かったなと思うのは、あの子どれぐらい大きくなったかな~?最近雨が多いけど元気なくしてないかな~?モグラに食べられてないかな~?とか気にするようになったということです。百草丸のような小さな小さな種を植え付けて、苗がでて、茎や葉っぱをどんどん伸ばしていく。ものすごい生命力を感じます。虫をみつけたら払ってあげたり、窮屈そうだったら土をほぐしてやったり。だんだん愛着がわいてきます。そしてそれが功奏して実をたくさんつけたら、良かったなぁと笑みがこぼれます。大きくても小さくても、形がよくてもそうでなくても、みんな可愛いです。出荷されていって美味しく食べてもらうんだよ~と娘を嫁に出す気分です(娘はいませんが)。植物を育てる過程で植物と対話する、実が収穫できたら、その実が行きつく人のことを想像する。植物を通して人とつながりができるということ、なんならその実が調理されるところ、人の口に入っていくところにも立ち会いたい。そんな風に気持ちが動くようになったことが一番の収穫です。

 

うちのかわいこちゃんたち

育てることに関心をもった私はアパート暮らしなため、野菜を育てる庭がありません。なので観葉植物を育てることにしました。今ではなんやかや30鉢ぐらいに増えました。朝起きたらどんなかな~と覗いてみて、家に帰ったら同じように成長を楽しみにしてます。以前にも観葉植物を育てようとしては1周間ぐらいで枯らしてしまい、を繰り返していた私ですが、今は結構順調に育っています。旅行で長期に家を空けても元気です。たぶんつながれるようになってきたんだと思います。今年こそは冬越しを目指します。

復帰のときに提出を求められる診断書について感じたこと

先日ハローワークに求人登録をしに行ってきました。そろそろやる気になってきたのです。精神保健福祉手帳を持っているので、障害者枠についても話を聞いて見たかったのです。現時点では病気についてクローズで就職活動をするつもりはないのですが、どちらでもいけるように準備はしておきたいのです。話を聞いて障害者登録窓口で求人登録をすることにしました。



さて、相談員との話が終わりかけたときです。一枚の用紙が差し出されました。そこには「主治医の意見書」と書いてあります。できればこれを書いてもらって欲しいと。



民法や労働契約法、労働安全衛生法により雇用主には労働者を安全・健康に働かせる安全配慮義務があるようです。だからもう働いてもいいよという「主治医の意見書」があるほうが望ましい(喜ばれる)という説明を受けました。またその話か…



私は過去に2回、休職の経験があります。それぞれに復職があったのですが、その際も会社から「主治医の意見書」を提出するよう求められました。



趣旨はよく理解できます。私自身が会社側にいたらあまり考えることなく提出を求めるかもしれません。でも求められる側の私にはどうにもこれが気持よくないのです。私を雇用するかどうかの判断が、なんだか会社と医師の間で決められてしまうような、疎外感を感じてしまうのです。「念のため」ではあるとしても、もし拒んだら不利に扱われる(悪い印象をもたれる)のではないかと感じて拒めない。そもそも話し合った結果「やっぱよくわかんないよね。お医者さんに聞いてみてよ」と言われているように感じてしまうのです。意見書があろうが、働いてみてダメなときはダメだし、意見書がなくても上手くいくときは上手くいく。ダメだったからといって医師の判断に誤りがあったと損害賠償を請求する?意見書には「きつい叱責は不可」とか「パワハラは認めない」とか細かくは書いてくれません。「週3日程度、一日6時間程度の軽作業なら可」とか「負荷は徐々にかけることが望ましい」ぐらいなアバウトで最低限の表現です。それを提出することに、それを提出させることによって誰がどんな得をするのでしょうか?それがあることによって誰のどんな責任が免責になるのでしょうか?そんなものよりも面接でよーく話をして欲しいなぁと思うのです。私もどんなことでもオープンに話をしたいと思っています。

障害年金の審査請求が棄却されました。

いきさつ

障害厚生年金3級の受給を申請し棄却されたため2013年6月、社労士さんの協力を得て東海北陸厚生局社会保健審査官に対して審査請求を行いました。2014年1月結果が届き、不支給の決定はくつがえりませんでした。障害年金については不明な点が多く、インターネット上でも様々な憶測が飛び交っており、何が事実なのか、どこからが憶測なのかよくわかりません。ですので私が行ったことを事実と推測に分けて記録しておきたいと思います。

提出した資料

審査請求までに全部で資料を9点提出しました。

  1. 現症時(裁定請求日)の診断書
  2. 障害認定日(初診から1年半後)の診断書
  3. 病歴・就労状況等申立書
  4. うつ発症から現在までの時系列の表
  5. 添え状(納得できない点とどうして欲しいのかを簡潔に書いた挨拶文です)
  6. 障害認定日の診断書についての追記文章
  7. 現症日の診断書についての追記文章
  8. 診断書裏面(日常生活活動能力)についての追加文章
  9. 6~8に対する医師からの意見書

1~3は始めの申請時に既に提出済みのもので4~9が審査請求時に任意で追加提出したものです。

決定書にかかれていたこと

私が不服と感じた点について再検討して欲しいと訴えましたが、ひとつひとつについて反論してはくれませんでした。 決定書は全30ページからなっていました。約28ページ分は提出した資料を書き写してあります。データではなく印刷した文章を提出しているので全て手打ちで書き写したということになります。審査請求から決定まで6ヶ月要しているのは、申請者が膨大で審査官の数が足りていないという事情もあると思いますが、こんな手仕事をしている部分にも原因はありそうです

棄却の理由

棄却の理由として明記されているのが確認できたのは4箇所です。

  1. 障害認定日について、診断書(資料2)にある日常生活能力の判定(裏面)には「できる」、「おおむねできるが時には助言や指導を必要とする」が多い(ざっくり書いていますが実際は一項目ずつ羅列しています。後述します)。
  2. 障害認定日において、一般雇用として◯年間勤務しているとされ、仕事場での援助の状況や意思疎通の状況は「やや困難を要することがあった。休職中」とあるのに、時系列(資料4)によると障害認定日当時、休職していない(ように受け取れる)。病歴・就労状況等申立書(資料3)によれば出勤状況は前月15日、前前月18日である。
  3. 裁定請求日について、診断書(資料2)にある日常生活能力の判定(裏面)には「できる」、「おおむねできるが時には助言や指導を必要とする」が多い。
  4. 意見書(資料9)は原処分後に請求人(私)からの申し立てにより作成されたもので診療録(カルテ)に基づくものではないため不採用とする。

 これらのことから総合的に判断すると、厚生令別表第1に定める障害等級3級に相当するとされる障害の程度である「... 精神又は神経系統に、労働が著しい制限を受けるか、又は労働に著しい制限を加えることを必要とする程度の障害を残すもの」に該当すると認めることは困難である。

判断の際、見ていること見ていないこと

ここから先はあくまで私の推測です。事実とは異なる可能性があるという点に留意して下さい。棄却理由を読んでみて感じたこと。2点あります。1点目。初めに医師に書いてもらう診断書が全てを決めたという印象をもちました。 特に裏面の日常生活状況という欄。 医師に日常生活についてヒアリングを受け、医師がレ点チェックを入れていくだけの作業としては簡単なものですが、ここで「できる」、「自発的にできるが時に助言や指導が必要」にたくさんチェックが入る程度だとかなり厳しいと後に知りました。いくつ「できる」「おおむねできる」があると棄却になるとか数字はわかりませんが、棄却理由にこの部分を多く費やしていることから(とは言え、羅列してあって最後に「総合的に判断」したというのみの記述ですが...)審査官はここを重視しているものと思われます(社労士さんもここを多く「できる」「おおむねできる」にしてしまったことが残念な結果につながったと仰っていました。「できる」と言っても現実こんなふうだったんだと追加文章で訴えましたが、棄却理由にはその点は全く触れられていません)。診断書には医師がコメントを書く欄があり、そこには「日常生活活動能力にむらがあり、労働能力は低下している」とか「仕事場での援助の状況や意思疎通の状況はやや困難を要することがあった」等の記述をしていただきましたが、決定書では転記するのみで判断材料として「ああも受け取れる」「こうも受け取れる」と検討した跡は文面からは伝わってきません。意見書(資料9)が不採用になったことも“医師のコメントは判断材料にしない”という意思が感じられます(たぶん「診療録に基いて」と一筆いれていただいたとしても材料にしてくれない気がします)。

診断書裏面

 

2点目。自分で記入する病歴・就労状況申立書について。私は就労していました。週に1~2日欠勤し、遅刻していました。仕事内容も軽作業に抑えてもらう配慮をしてもらっていましたし、そのことも追加文章(資料6~8)で訴えましたが、決定書にはその部分に一切触れていません。就労していた事実があった場合、職場で配慮をされていたことを数字などを使って客観的にわかる形で記述することはどんなに字数を費やしたとしても極めて困難です。だからといって就労していたのに就労していなかったとウソを書いてはいけませんが、配慮の度合いを伝えるのは現実問題難しいと感じました。数字面で訴えられる部分として「出勤の状況」がありますが、どれぐらい休んでいたら(もしくは働けていたら)「労働に制限が必要」と認められるか。棄却理由にもわざわざ出してきていますので、何らかの数字的な線引きはありそうです。病歴・就労状況等申立書裏面

障害年金が支給される要件

日常生活もままならず(シンクには汚れた皿が放置してあり、ごみも出していない、いつも寝間着をきて過ごし、掃除は年1回するかしないか、通帳記入なんてもう何年もしておらず、電話も出ない、意思疎通も困難、通院も付き添いがなければ困難)、そして就労していない(休職中であるとか、就労していたとしても週1日かつ短時間かつ配慮ありとか)。イメージとしてはこんなところでしょうか。果たしてこんな状態まで陥ってしまった者が社会保険事務所へ行ったり、書類を用意したり、社労士さんに協力を求めたりできるでしょうか。今一度、制度の趣旨、誰が誰を支援するための制度なのか、その人達を支援するためにはどのような経路で発見してあげられるのか、よーく考える必要があると思います。困っている人がいて、放って置いたら自分まで困るようになってきた、という状況になってしまう前に。

日常生活困難&働いていない>日常生活困難&少しだけ働いている>日常生活できる&週半分くらいどうにか働いている>日常生活できる&なんとか働いている。今、障害年金が支給されるのはアンダーラインを引いた領域の人達のみです。

まとめます。決定書の棄却理由を読んでみて障害年金は以下のような流れで決定されているのではないか、と推測します。

障害年金支給までの流れ

 

もし過去に戻って申請をするとしたら 

診断書と病歴・就労状況等申立書以外に資料をあれこれ添付しても手作業で書き写す作業が増えるばかりで決定書が分厚くなるだけです。中立的立場の第3者による記録(タイムカード等、勤怠簿、給与明細書)があれば添える意義があるかも知れませんが、それらを用意することはとても困難だと思います。まずはシンプルに診断書と病歴・就労状況等申立書を矛盾なく作成することに集中することが大切だと思います。②の部分はたぶんこれくらいだったかなと曖昧なまま記入しない。できるだけ情報を集めて正確に書いた方が良いと思います(フルタイムなのか短時間なのか、デスクワークなのか体力仕事なのか、月に何日就労したか、一日何時間勤務したか)。①の部分については、もし社労士さんを代理人に立てる場合、少し神経を使います。社労士さんはここがキモだと知っているので、医師に細かくアドバイスします。一方、医師によってはそれを操作と受け止めてしまって関係がこじれてしまうことがあります。ですから社労士さんを立てると伝えた時点で診断書を書くことに消極的になってしまう医師もいます。こんな残念なことが起こるのは、医師や一般人が想像する「できない」と障害年金上の「できない」に大きな乖離があるためです。ふつう、一般的に言って、通常、常識的には「◯◯できない」と言ったら「こういう状態のことを指すよね?だよね?」という解釈の幅に差があります。③の部分、病歴・就労状況等申立書は自由記述のため「倦怠感があって」「体が重く」「頭痛がして」「目眩がひどく」などいろいろと症状を訴えたくなるところですが、それらは自分に都合よく書いていると判断材料にはしてもらえません(棄却理由には一切触れられていませんでしたから)。症状についての記述は診断書に医師が書いてくれますし、審査官にとってはそれだけが唯一“中立な立場からの客観的な視点"と認めていますから、診断書に簡略に書いてもらえばそれで充分です(逆に、診断書以外に書いてもらっても“中立な立場からの客観的な視点"とはならないのは棄却理由からも明らか)。症状がどんなであるかの記述はあまり重要視されません。それよりはデータ的なことがら(月に何日就労し、一日あたり何時間勤務し、遅刻・早退が何回とか)を書く。その上で、大事なのは記述が①と②の内容と矛盾していないこと。時系列がずれていたり、休職・失職期間が一致していないことを見逃してはくれませんし(できるだけ情報を集めて正確に、と書いたのはそのため)、療養や息抜きのために旅行した等の記述も①に矛盾しかねないので(その事実があったとしても)わざわざ書く必要はない(書かないこと=ウソをいったことにならない)。こんなところでしょう

※全て筆者の推測です。このように決定されているという事実は確認していません。これから申請してみようかと思っている方に参考になれば幸いです。

(2014/3/5追記)審査官にとって「信頼できる第三者の意見」とは診断書(上記提出書類の1と2)のみです。同じ医師が書いたものでも他の書類は審査官にとって「信頼できる」に値しません。つまり審査官は日本年金機構厚労省)が用意した書式に医師が署名した書類のみを信用するということです。それ以外の書類を何枚も費やしても審査官は矛盾点探しに力を注ぐばかりですし、矛盾点がなくても「原処分後に請求人(当事者)からの申し立てにより作成されたもの」というキラーワードによってはねられてしまうことが私の経験からわかりました。病状そのものではなく、どのように生活に支障が出ているかというデータと、書類間での相違がないことに集中することが大切です。

毎日のちょっとしたケアが大切って話

先日に引き続き、またイチローの話です。

 ちょっとした動作のもつ力

中京大学スポーツ科学科の湯浅景元教授(身体運動学)によると、イチローのけがの少なさ、 39歳になっても高いパフォーマンスを発揮できる背景には以下のような試合途中のさりげない動作があると述べています。*1

打席に立つ前に、四股を踏むように脚を広げ、肩を交互に内側へひねる動作。
守備中も肩の筋肉をほぐす、腰をひねる動作。
ワンプレーごとに体をほぐす動作(ストレッチの効果は1~5分だそうです)。
打席に立つ前に2~3歩跳んでバットを振る動作(片足で立つとバランスを崩しやすいが、跳ぶことで重心を真ん中へ戻せる)。

四股を踏むように脚を広げ、肩を交互に内側へひねるイチロー

画像

打席に入る前に屈伸をするイチロー

画像

守備中も肩の筋肉をほぐすイチロー

画像

なんでイチローのウォーミングアップについて書いたか。もう少しお付き合い下さい。

回復期になったら何から始めようか?

うつに罹ってしまった人はたぶん毎日服薬していますよね?私も約5年間、ひたすら薬飲んで自宅療養していました。ただ寝て、寝て、寝ての毎日でした。急性期は休息が最も必要です。ただただリラックスすることに専念する必要があります。そして少し意欲がわくようになって、あるいはこのままではいけないなぁと思って何かしたい日が訪れると思います。じゃあ何から始めたらいいですかね?そうしたらぜひメンタル・フィジカルシートをつけてみましょう。

意欲がわいたときこそ注意(私の失敗談)

メンタル・フィジカルシートについては2013年5月に過去エントリーに書いていますので、まずは読んでみて下さい。このエントリーの中で、

シートをつける目的
どんな時に調子を崩しやすく、どんなことをしてるときに気分が上がりやすいかを分析して、調子が悪い時に気分の上がる行動をとって予防できるようになるため。

と述べています。実はこのエントリーを書いた後、大きく体調を崩してしまいました。回復するのにとても時間がかかったのです。言葉ではわかりにくいので実際に私のシートを例に挙げましょう。

画像

上から下にいくにつれて今に近づいています。メンタルを表す青い線とフィジカルの赤い線が離れているところがあります。体が疲れているのに、気分は好調つまり意欲が高いときに活動量が多くなってしまい、その後気分は落ちてしまいます。

うつにも毎日のケアが必要

現在(一番下の表)では青い線と赤い線は近いところをなぞっています。これはメンタルが落ちないように体のケアを意識的にやるようにしたんです(具体的な方法はコチラ)。“青い線と赤い線が離れてくるとその後に調子を崩す”という傾向は就労支援のスタッフさんが発見してくれました。毎日シートを記録するのは面倒ですが、きっと気付きがあると思います。うつの人が皆このパターンというわけではないですが、ぜひ自分の落ちるパターンと上げるためのケアを見つけてみて下さい。イチローも良いパフォーマンスを維持するために小さなケアをしているように、うつにも良い期間を維持するためにケアが必要だった、というお話でした。

*1:中日新聞2013年8月23日朝刊より

イチローのインタビューから見えたうつの人が立ち直るためのヒント

現状に満足することはいけないことか?

2013年現地時間8月21日、ニューヨーク・ヤンキースイチロー外野手が、本拠地ヤンキー・スタジアムで行われたトロント・ブルージェイズ戦で日米通算4000本安打を達成した際のインタビュー。多くの人が新聞やネットで目にしたと思います。その中で私はこんな部分に目をひかれました。

─他の選手はどこかで満足している。イチローさんはない?

「いえいえいえ、僕満足いっぱいしてますからね、今日(脚注:4000本安打達成のこと)だってもの凄い満足してるし、いやそれを重ねないと僕は駄目だと思うんですよね。満足したらそれで終わりだと言いますが、とても弱い人の発想ですよね。僕は満足を重ねないと次が生まれないと思っているので、もの凄いちっちゃい事でも満足するし、達成感も時には感じるし、でもそれを感じる事によって、次が生まれてくるんですよね。あの意図的に、こんな事で満足しちゃいけない、まだまだだと言い聞かせている人は、しんどいですよ。じゃ、何を目標にしたらいいのですか、嬉しかったら喜べばいいんですよ。と言うのが僕の考え方ですけどね」

太字は筆者による

日米通算4000本安打達成のイチローが会見(全文掲載)/一問一答より

この考え方、うつ病の行動活性化と同じことのような気がします。やってみたら楽しかった。やってみたら嬉しかった。やってみたらスッキリした。小さな経験であればあるほど「こんなことで喜べるかっ!」と考えてしまうクセがついてしまっていると思います、うつの只中にある間は。「もの凄いちっちゃい事でも満足」し、「それを重ね」ることで「次が生まれてくる」。たぶん通院してると医師から散歩とか図書館行くとか、働き盛りの大人がやるにしては小さな行動を勧められて「そんなちっちゃなことを勧められるような人間に成り下がったのか…」と落ち込んだりします。

私自身、長いこと就労支援に通っていますが、ずっと就労支援に行くのは当たり前のことで、それ以外の時間にいかに充実した時間を過ごすか(就職活動をするとか、勉強をするとか)を考えていました。で、過活動になって翌日に疲労が残って就労支援を休んでしまう...。余計に自己嫌悪。たぶん「就労支援行ってるぐらいで満足してちゃいけない」って考えていたんだと思います。今は通うことが仕事だと思っているので、帰宅してからは何もしてません。その代わり、通所している時間は真っ向から自分を見つめなおすようにしています。

何に対して満足するのか

小さなことに満足していいか、現状に満足してはいけないかということは、私はどちらも正しいと思います。イチローもきっと何かを追っているはずです。私の考えでは、称賛されることは目標にしていないのかなってことです。他者からどう評価されるかは目標にしてないけれど、自分で設定した目標への追究は弛みなく続ける。その過程で自分の進歩は素直に喜べばいいという視点は参考になるのではないでしょうか。

気分が上がることひとつ見つけました

久しぶりの更新になります。調子が悪かったかというと、むしろ逆で最近は安定しています。いい時に調子に乗らないで抑え目にするということがずっと私の課題だったので、過活動を自重した結果としてブログ更新を怠ったというわけです。

調子がいいってどういことなのか

うつの人どうしで話をすると一番よくするのが「最近調子がいい」とか「今週末ぐらいから調子悪い」って会話です。うつじゃなくてもこんな会話はよくすると思いますが、あまりその内容を吟味したことってないと思います。行動活性化における「調子がいい」とは、気分に関わらず決まった行動ができることです。決まった行動とは定時に会社に行くとか、家事だったり、友達との待ち合わせの時間にちゃんと行くです。自分がこれこれをいついつまでにやろうと決めたことを、予定通りにできることを指します。気分が落ちてるとかハイであるとかは関係ありません。もちろん落ちてないに越したことはありませんが、「気分に関わらず」ってとこがポイントです。

気分が上がることひとつ見つけた 

さて、過去記事で気分が上がることを見つけるのはなかなか難しいという話を書きました。いいと思ってやってみたことが、別の日には良くなかったりして今でも試行錯誤なんですが、いつやっても効くなぁと思うものをようやく1つ見つけました!それはストレッチです。私がやっているのはヤムナ・ボール・メソッドというものです。

ヤムナ・ボール・メソッド ([バラエティ])

ヤムナ・ボール・メソッド ([バラエティ])

きっかけは喫茶店で雑誌をパラパラめくっていたらたまたま小さな記事を見つけたというだけなんですが、腿の裏側、脇の下、背中、二の腕の筋肉をほぐせると書いてあるのにビビッときまして。というのは、いつも就労支援から帰ってくると体がカチコチに固まってしまって普通のストレッチをやっていたんですが、翌朝も凝りが残っている。その疲れと不快感から気分が落ち、休んでしまうというサイクルがありました。腿の裏側、脇の下、背中、二の腕の筋肉がまさにそれだったので、そんなに高いものでもないし投資してみるかとポチったわけです。これをやってみるとあまりに気持ち良く、何日かやっているうちに、やり終えた後、気分が上がっていることに気が付きました。なので、今は朝と就労支援から帰った後にやることにしています。

副産物も

また、違う使い方も発見しました。私はTVの音が苦手でNHKとかスポーツ中継ぐらいしか観ないんですが、妻が休みの日はTVに晒されます(妻はTV大好きです)。そんなときにコロコロこれを転がしていると、自分の身体に意識が集中するのでTVからのストレスを幾分回避できることに気づきました。なので休みの日は一日中このボールの上に居ます。

運動はうつにも効くらしい

 先日興味深い記事を見つけました。日本版ライフハッカーの運動は健康だけでなく、精神安定や自信をつけるのにも役立つという記事。詳細はリンク先を読んでいただきたいのですが「運動を行った人は、実際に身体に変化が現れていなくても、自分の体型を肯定的にとらえるようになる」という箇所は納得です。結果はともかく「やったんだから...」って納得感はありますよね。確かにちょっとだけいい汗をかいた後はすがすがしいです。就労支援センターでもスポーツプログラムがあって、卓球やバトミントンなどをやっているんですがじっと球に意識を集中しているわけです(どちらがたくさん点を取ったかではなく、何回ラリーを続けられたかってやり方をしてます)が、終わったあと気持ちも開放されているような気がします。バッティングセンターなんかもいいと思います。ストレッチや軽スポーツをやることで身体の不調も軽くなってきて、今月は今のところシフト通り通所できています。うつを患ってしまうと引きこもりがちで、結果として体を動かさないので不調が増幅される場合もあると思います。最初のうちは翌日に疲れを引きずってしまうこともありましたが、気持ちが落ちていても何とか体を起こすことはできるようになりました。打つ手がないなぁと思ったら「取り敢えず頭を使わずできること」をやるようにしています。うつはメンタルの病気だから体は関係ないってことは全然ないとわかった経験でした。体が動くってことはメンタルに対してもすごく肯定的なメッセージを送ってくれます