うつ病患者の生活

うつ病と診断されて9年の42歳。休職や転職を繰り返して2015年はアルバイトとして社会復帰。そんな人はこんな生活をしてるよって日記です。認知行動療法、対人関係療法、週間活動・気分記録表、メンタル・フィジカルチェック、障害年金など取り組んでいることを記録しています。

憲法記念日を記念して憲法のことを考えてみた。

例えば国民の70%が憲法を改正したいと思っていたとしても、3分の 1を少し超える国会議員が反対すれば指1本触れられないのはおかしい。

憲法96条について2013年4月23日参議院予算員会での首相答弁より

なるほどね。一理あるかもねとその時は思った。 論理的には筋が通っているような気がするんです。でもずっと何か違和感が残ったまま放ってあった。
そしたら先日、ロンドン在住のwasting time?さんの記事を読んで何となくその違和感の正体がわかっ てきた気がするのでメモとして残しておく。

国に指導者ってなんで必要なのか。

記事自体は政治家の靖国参拝の是非についての考えを述べたものですが、その中で目に止まった部分がここ。

-あの戦争(micabi注:太平洋戦争)は政府による強制か

(中略)日本においても経済的な苦境や格差・共産思想の広まりから軍部の過激派が一部の国民から支持された。政党政治の行き詰まりはさらに軍部の国民からの支持を上げる。また多くのマスコミが 国民を好戦的であるように仕向けていたし、また国民の多くもそれ を積極的にせよ消極的にせよ望んだ。残念ながらいかなる指導者が あの時代にいようとも戦争を回避することは不可能だっただろう。 あの戦争は政府によって強制されたものではなく国民によってもたらされたものであるというのが事実と考えてよい。靖国が政府による侵略戦争を肯定し国民を好戦的にし国民を政府のために死なせる ための道具であったという主張はいまいち納得できない。(以下略 )

政府(指導者)は国民を適切な方向へ導くことを望まれている(と思ってるんだけど違う?)。しかし、時に空気や雰囲気によって国民が望ましくない考え方へ進んでいくことは歴史的にみても起こってきた。その時、政府は国民を止められるのか。実際のところとても難しいのではないかと思う。むしろそんな世論の支持を得ようと主張を変えたり、おもねったりする野党政治家が出てきそうだ。そうでなくても支持しない候補者は落選するので国民がやって欲しいことを代行してくれそうな候補者が選ばれる。それが民主主義だから。

だからこそ、安部首相が言うような国民の70%が憲法を改正したいと思っていたとしても、3分の1を少し超える国会議員が反対すれば発議すらできないことは不当なほど高いハードルなのかと疑問が浮かんだ。歴史的経緯からみて国民の挙動がおかしいと思っても指導者は容易にそれを止められない。むしろ太平洋戦争の時は情報統制をして国民に都合の良いように情報を捏造さえした。でもそんなことすべきじゃないと信じた人も政府にはいた。その教訓からそんな状況になったら止めにかかるのも国民から期待された今の指導者(野党も含む)の役割だと思う 。

憲法改正案が狙いとすること

さて、安部首相率いる自民党は2012年4月に改正憲法草案をまとめた。いろんな部分で国民の行動に制限を加えようとしている。ざっくりいうとそもそも憲法は偽政者の行動に行き過ぎがないよう制限を加えるためのもの。一方、その他の法律は国民の行動に行き過ぎがないよう制限を加えるためのもの。アメリカの押し付けであると捉えるかどうかは別の問題で、この対峙する法によってお互いを監視しバランスがとれているから今の日本は平和の恩恵に預かっている。私は96条改正はこのバランスを崩して指導者(与党)の力を増したい意図があるのだと思う。

違和感の正体

現状、国民の方がやや力を持っている。しかし、自民党憲法を認めると今度は指導者の暴走というリスクが出てくる(自分で書いておいてなんだけど政府が暴走するって例えばどんなことが起きうるかな?国全体の利益を考え即時全原発再稼働!!とか?)。 国民は制限された権利の範囲内でその暴走を止められるのかどうか 。

国民がどんなに権利を制限されようが義務を増やされようが、やるときゃやったるぜ、そん時はそん時、でも今は保留…と思えば(その場合、仮に指導者が暴走したらアラブの春のように暴動を起こしたり外国の介入を仰がなけきゃいけないかもしれないよね)、憲法改正案は成立するだろうし、そもそもその前に主導権は渡したくないと思えば反対運動が活発になるだろう。私は国民の力がちょっと強いくらいがいいバランスなんじゃないかと思っています。憲法改正は自衛隊を公に軍隊と認めるか否かってところに焦点があたりがちだけど、本当は指導者と国民のどちらが国のことを決める主導権があるかってことが問われているんじゃないかな。冒頭に引用した安部首相の発言から感じた違和感とは、国会議員の過半数という現実的にみて低いハードルで国民を守ってくれている憲法をかえることができ、国民の権利を比較的容易に制限できるようになるかもしれないという危機感なのだとわかった。支持率が高いうちならできるんじゃないかというしたたかな思惑をあまり見えないようにしつつ、一見すじの通った問題提起にコロッと騙されそうになりました。